知られざる地球の不思議さと手つかずの大自然を肌で感じる究極のエコツアー。地球の鼓動が聞こえる大地「南極」、
イヌイットの住民達、野生動物との出会いがある「北極」。何かを感じさせてくれる極地旅行。
個人旅行の旅だからこそ、他では味わえない感動が!

南極観測隊第一次越冬隊とカラフト犬

私達第一次越冬隊(1957)と行を共にしたのは「カラフト犬」だった。 これを私達は「カラフトケン」と読んでいた。 ところが 白瀬南極探検隊(1910-1912)の報告書「南極記」には「樺太犬」と漢字で出てくるし、かって日本陸軍が使用した語も「樺太犬」だったと記憶している。さらに、1956年3月にできた稚内の訓練所には「南極学術探検隊・樺太犬訓練所」と書いてあった。

(写真)犬ぞりでボツンヌーテンを目指す第一次越冬隊 

何時の時点でそれが片仮名で「カラフト犬」と書かれる様になったのかは私は知らない。終戦後「樺太」が外国になったので、これを「カラフト」と書き直したのと関係があるのだろう。特にそれらの犬を学問的に研究しておられた北大の犬飼哲男・芳賀良一両先生などにその源流を辿る事ができるのかもしれない。両先生はまたこれを「からふといぬ」と書いたりしておられた。

 

1953年春。15頭の「カラフト犬」が昭和基地に残された。ただし雌の「シロ」と8頭の子犬は日本に連れ帰られ、主として北海道に散らばった。それらの子孫は総て「カラフト犬」と呼ばれていたに違いない。

ところが1976年5月北極圏12,000キロの犬ぞり旅行を終えた植村直巳さんが、苦労を共にした犬と別れるに忍ばず、4頭の橇犬を日本に連れ帰って旭川と帯広の動物園に委託した。名犬アンナ(雌)はグリーンランド産。他は多分カナダ産の犬である。これらを「カラフト犬」と呼ぶわけには行かない。だれ言うとなく「ハスキー犬」とか「植村犬」と呼ばれていた。

 

その後1982年、カナダ北極圏で映画「南極物語」撮影に使用したそり犬40頭程を日本での撮影のためにに輸入した。そして映画の上では「カラフト犬」と呼ばれ、その後、稚内市に委譲された。

ところがこれらの犬は総てカナダ産である。「ハスキー犬」でもない。「カラフト犬」と言うのもおかしい。「南極物語に出演した犬」と言う呼び方が短縮されて、何時とはなしに「南極犬」と呼ばれ出し、今、稚内を中心にこれらの犬の子孫を「南極犬」と呼んでいる。「南極犬愛好家協会」と言う全国組織もできて、全国的な犬ぞりレースも行われている。この「南極犬」との呼び名は定着して来た様である。

 

考えて見れば「南極犬」と言う名前もおかしな名前だ。南極に犬が生息している訳でもない。この問題は今後どの様に発展するかは解りません。
何か良い名称はありませんか?
ともかく「カラフト犬」と言う名称の犬はもういません。

菊池 徹 (1996.03.16)

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