兄、菊池徹の思い出

菊池三郎氏インタビュー記事
菊地三郎先生が2013年11月19日に88歳でご逝去との悲報を受取りました。
心よりお悔み申し上げます。
私達は、先生達の遺志を心に刻み日々、精進していく覚悟でおります。

「兄が南極に行く前、“あなたはオッチョコチョイなので、必ず先頭には立たないこと、人の後についていきなさい”と母が言っていました」。徹氏のことをお伺いしたら、三郎氏から最初に出た言葉だ。
男ばかりの4人兄弟。戦争中だったため、母親は、4人いるなら2人ぐらいは死ぬ、と覚悟を決めていたという。
(写真/菊池三郎氏、ご自宅にて)
大きな家だったが、やんちゃ盛りの兄弟で毎日が賑やか過ぎ、明治生まれの厳格な父親から、「一人一部屋与えるから、自分のことは自分でやれ」、自分の力で自活せよと教育された。トイレも客用、自家用と別れており、礼節には厳しかったという。特に長男である徹氏は「長男らしく、しっかりしろ」と厳しく言い渡されていた一方、当時の風潮で、長男であるゆえに威張ってもいたが、弟たちの面倒は良くみてくれたそうだ。
徹氏は運動が好きで、高校では機械体操部に所属していた。インターハイで、人ができないことをしたら腕を折る、という無茶な一面もあった。
父が北海道大学の出身だったこともあり、徹氏も同大学へ進学、地質工学を専攻。北大の山岳部を選んだのが、後に南極へ行くことになる運命の分かれ道であった。ちなみに三郎氏も北大に入学、同じく山岳部に所属した。日本南極観測隊・第一次越冬隊11人の内3人(中野氏、佐伯氏、徹氏)が北大の山岳部だ。
「兄が南極の越冬隊に選ばれた時、家族全員が心から喜びました。凄く名誉なことだと。私も兄を誇りに思いました」と三郎氏。帰国後、南極越冬隊のことを映画化する話が持ち上がった時、当時アメリカにいた三郎氏は、バンクーバーに暮らしていた徹氏からいろいろと相談を受けた。「兄は“生前に自分をモデルに映画化されることは、本当にありがたい。何でも協力したい”と言っていました」。
高倉健主役の映画『南極物語』は、1983年に公開された。そして今年、TBS開局60周年記念にちなみ、木村拓哉主演『南極大陸』(仮題)のドラマ化が決定。この秋、放送予定だ。
徹氏の手記掲載によせて

菊池三郎氏のお手紙
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