「自転車で南極点へ!」
2016年1月チリ・プンタアレーナスにて、南極大陸から戻ったばかりの大島義史さんにインタビューさせていただきました。
南極点到達!シンボル国旗前で記念写真に収まる大島義史さん
【ゲスト】 サラリーマン自転車冒険家・大島 義史さん 【インタビュアー】 トライウエルインターナショナル 田島
<田島>
お帰りなさい!本当にお疲れ様でした。やり遂げましたね。日本語を話すのは、私が最初ですね。ともかく、おめでとうございます!!
<大島さん>
ありがとうございました!トライウエルさんのお蔭で実現できたのです。感謝の気持ちで一杯です。
<田島>
大島さんの旅は、日程通りだったのでしょうか?南極大陸行きのフライトの遅れなどはなかったのでしょうか?
<大島さん>
行きは予定通りフライトできました。2015年12月29日でした。帰りは予定より早くチリに帰国できました。2016年1月13日です。お天気も最高でした。ずっと天候には恵まれました。2013年に行った時とは大きく違っていました。
悪天候の場合も考えて3週間の余裕をみていたので、1か月半のお休みを会社からとっていました。勿論、有休を使ってですが。ブリザードは1回もありませんでした。とっても幸運だったと思います。
※大島さんは2013年11月に下見として南極大陸ユニオングレッシャーで雪原での自転車走行体験をしています。
<田島>
どのような日程だったのでしょうか?
<大島さん>
南極点にいくまでにユニオングレッシャーに一週間いました。そこで装備などの準備やテントの設営、ガイドのエリックとのテント生活と自転車の予行演習などです。特に自転車は、初めてのものでしたので、どのように橇をひいて自転車が走れるのか走行テストを約200Km近くこなしたと思います。
1月4日にツインオッター機で約6時間ぐらいかけて南極点手前100Kmの地点に降ろしてもらいました。スキー組も一緒でした。同時スタートでした。我々の自転車組の走行距離は、実際160Kmぐらいだったと思います。ルートを確認しながらサスツルギをよけながら迂回しながらの走りとなるからなんです。
南極の輝く雪面を走る大島さん
<田島>
どんな走りだったのでしょうか?
<大島さん>
雪面は、ほぼ平らなのですが、その中でも小さなサスツルギがあるのです。大きいもので約50cmくらい。それをよけながら走ることになります。凸凹しているところを走るのですが、7日間で南極点に到達しました。スキー組は8日間かかっていました。
※サスツルギは、雪の表面が、風で削られてできた模様です。
気温の上昇で南極大陸にも川が出現!
<田島>
7日間で南極点に到達したのは、大島さんにとっては、ちょっと物足りなかったのではないですか?
<大島さん>
そうなんです。でも結構、ボリュームはありました。
<田島>
思い描いていた南極大陸の走りだったのでしょうか?
<大島さん>
正直、思い描いていたよりキツかったです。同行してくれたガイドのエリックが、「スキーより徒歩よりも苛だ」と言っていました。最初は「少しオーバーに言っているのでは?」と思っていましたが、実際は、本当に大変でした。二人で決めた目標が、1時間1マイルでした。スキーより大変です。
<田島>
自転車で行く苛酷さとは何だったのでしょうか?
<大島さん>
苛酷だった理由が二つあります。一つは、橇をひいているので、自転車を押すのにかなりのパワーが必要です。
もう一つの理由は、南極独特なのですが、極度の寒冷地帯では肺が追い付いていかないのです。
自転車に乗ると一気に飛ばしたいと思い、時速4Kmぐらい飛ばすのですが、今度は息が続かないのです。自転車を動かす為には、標高3,000mぐらいのところでは、荷物30Kgの橇をタイヤはほぼパンク状態の自転車で、押しては引き、押しては引いての繰り返しで、かなりのエネルギーが必要となりました。慣れてくると時速2-3Kmで走りましたが、通常時速20-30Kmで走っていた自分にとっては、10倍の苛酷さだったのです。1,600Kmぐらい走った感じだったでしょうか。
南極大陸をソリを引いて走る大島さん
でも終わってみると、「もう2-3週間はいける」「500Kmぐらいまではサラリーマンでもこなせる」と思いました。それ以上になるとかなりきつい冒険だと思います。精神的にきついです。何もない雪原で進まない自転車をひたすら押す行動は、単調でストイックです。
今回エリックが南極へ持ってきた自転車は、自分の自転車とさほど変わらない形状ではありますが、すべて炭素でできており、自分より約7Kgも軽い素材の自転車でした。
自転車を押して進む大島さん
南極自転車と遠征装備
<田島>
ガイドがいなければ危険だと思いましたか?
<大島さん>に
運営会社であるANIにとっても初めての企画であるということだったのです。ですから、ガイドなしでは許可しなかったし、成功していなければ次回からこのような自転車で行く100Kmコースは無いと思います。ですから自分のこのコースが実験的な試みであったのです。
※今回の企画は、トライウエルが手配し、運営会社ANIの南極点まで約100Kmをスキーで走行する「ラストディグリー・スキー」ツアーに同乗して行われました。
<田島>
日本人はけっこう、初めての冒険に挑戦する人たちがまだまだいる、日本人も世界に通じる冒険魂があるということですね。とっても頼もしいことです。
<大島さん>
そうですね。自転車の極地冒険は、黎明期であって、エリックもまだまだ模索状態なのです。2013年に世界で初めて自転車で行った人がいるのですが、(ギネスにも認定)その自転車は三輪車でした。サポート者がいたのです。今後は、ラストディグリーコースであれば(南極点まで100Kmコース)充分に行けるツアーになることでしょう。
地理上の南極点に到達!100Kmを見事に走破した大島義史さん
<田島>
南極点では、どのように過ごしましたか?
<大島さん>
運よく南極点では、アムンゼン・スコット基地を見学することができました。とってもラッキーでした。南極点で一泊しました。勿論、自分達のテント泊です。南極点はお天気が最高でしたが、風が強かったですね。そこから予定通り航空機に搭乗して南極大陸のキャンプ地ユニオングレッシャーへ戻りました。その後、1月13日早朝にチリ・プンタアレーナスに戻ってきました。
<田島>
本日は長い時間インタビューにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。南極点から帰ってきたばかりでお疲れだと思いますが、出発までゆっくりと身体を休めてくださいね。
最後に、夢を実現したばかりで余裕はないと思うのですが、次の目標はありますか?
<大島さん>
今回の夢を実現したのは、奥さんの協力を始め、多くの方々の協力、応援があってのことですから、今は控えておきます。(本当はもう心の中では決めているのですが...)
【インタビューを終えて】
大島さんの夢を実現するまでの長くてつらい日々。一番の難関は、会社から有休が許されるかということだったはずです。だからこそ、仕事には決して手を抜かず人一倍仕事に打ち込んできたのです。その他にも難題は数知れず。試行錯誤し幾度も挫折を繰り返しながら、不屈なる精神でひたむきに行動する大島さん。大いなる夢の実現は素晴らしい快挙です。そんな彼を私たちトライウエルがサポートすることができ、心からの喜びと感謝を申し上げます。
トライウエル・ポーラークルーズは、南極大陸内で多くの初企画をオーダーメードで企画手配させていただいております。定番のビンソンマッシフ登山コース、皇帝ペンギンコース、南極点フライト旅行、マラソンコースの他、南極大陸内のトライアスロン。南極点までの自転車の旅や南極大陸日帰りフライト旅行は、日本初ばかりでなく、世界初の企画です。今後も南極大陸の自然を破壊しなければどんな事でも企画が可能です。人生で一度のダイナミックな冒険を応援することが私達のミッションです。
【大島さんの旅を詳しく知るには?】
- 大島さんのブログ「Non Stop Run To Antarctica」
- 大島さんのブログ「とまらない好奇心」
- エリック ラーセン Websaite「ERIC LARSEN EXPLORE」 ※エリック ラーセン:極地冒険家・大島さんのガイド役
自転車で南極点到達を果たした大島義史さんの大冒険を身近に感じてみませんか? モンベルクラブ フレンドフェア展示会 |
今回使用した自転車や装備品などをモンベルクラブ・フレンドフェアのポーラークルーズのブーススタンドにて展示させていただきます。
しかも大島義史さんが両日参加!自転車で南極点到達を果たした大島さんにお直接会えるチャンスです。ご来場お待ちしております。
- 日程:2016年4月9日(土)・10日(日)
- 会場パシフィコ横浜(展示ホールA・B) ポーラークルーズのブーススタンド