2014.11.13
白瀬 晩年の地への墓参り
常日頃、チャンスがあれば白瀬の晩年の地へと訪ねてみたいと思っていた。お墓参りへと。
ふとしたことから訪れるチャンスが生まれた。ちょうどお彼岸の時期と重なったが、あいにく台風が近づいてくるかもしれない時期に重なり、しかも出張中の一日しかないチャンス。もし翌日が雨であればそのまま大阪出張から東京へもどろうと決意していた。
しかし、内心では、何が何でも明日に墓参りを済ませておきたいと思っていた。その理由とは、白瀬についてのガイドを担当(地域のボランティアガイド研修)することとなり、経験豊富なツアーガイドの先輩達の前での初デビューの日が東京に戻った週末に迫っていたからだ。墓参りを済ませれば少しは気が落ち着き上手くいくのでは?と自己暗示をかけたかった。
名古屋から西尾市へ
名古屋から名鉄西尾線に乗り約1時間。住宅街から徐々に田畑が見える。どこの駅にも大型のショッピングセンターやビルが並んでいるが、下車駅の上横須賀駅にやってくると駅員もおらず無人駅と言ってもいいくらいであった。駅の出入り口は一箇所で、到着ホームを降りて線路を渡り、反対側のホームから出口へ。
気温は29度ぐらいあっただろうか。秋の日差しが強く真夏の暑さが舞い戻ったような日であった。
駅前はまったく何もない。さて、どちらに歩いていくべきなのか。自分の感を頼りに迷うこともなく進みはじめる。方向は確かだったが、42号線が見つからない。
画像:駅の看板には、白瀬の墓の位置が記されていた

誰かに道を聞こうにも誰ひとり歩いている人がいない。うまく人影がある家に飛び込み、場所を尋ねると、親切に地図まで書いてもらった。それなのに、どうも方向がおかしいと思い、コンビニに入り尋ねると、若い女性スタッフが一生懸命地図を取り出して親切に教えてくれた。
まずは42号線に沿ってあるくと看板があるので、それを目指す。途中にいくつもの寺や神社があり、お地蔵さんがやたら目に入った。約1時間かかってやっと白瀬の墓の看板を目にすることができた。さらに鳥居の先は、鬱蒼とした森となっていた。周りは田畑が広がるのどかな時間が流れている。
写真:国道沿いの畑の脇にひっそりと建つ「白瀬の墓」の看板
白瀬の墓が眠る瀬門神社で不思議なる邂逅

写真:白瀬の墓
白瀬の墓は、思いもよらず広い敷地にある立派なものだった。
自分の足元を見ると南極大陸地図の上に立っていたのだ。しかも日本地図が入り、どのくらいの広さか一目瞭然とわかるようになっていた。
まずは、白瀬の墓に手を合わせると向こうから急に人の気配が?
まったく道などあるはずもない場所から急に男性が現れ、こちらにやってきた。不思議な人であると思いながら、南極地図の枠の中に二人が並ぶことに。何となくの気まずさに声をかけて言葉を交わす。
すると何と!白瀬の「開南丸」の機関長・清水光太郎氏の親戚であり、その人(竹田さんとおっしゃいます)のお父さんが清水光太郎の最後を看取った人であったそうだ。小さい時から清水光太郎の話を聞かされ、いつか白瀬の墓を探し出そうとの思いで、今日ここに来たとのこと。何という不思議な邂逅であろうか?
そこで思わぬ情報をここで得ることになった。
清水光太郎は生涯独身を通しドイツ語にも精通し、かなりの努力家であったようだ。また、彼が残した懐中時計も残されていたそうだが、子供に壊されてしまったとか。
何かに導かれるように自分の進むべき道が自ずと見えてきたように感じた。
勿論、東京に戻って、すぐに、その報告すべく菊池徹先生の墓参りに行ったのは言うまでもない。
その後、白瀬の生誕地に砕氷艦「しらせ」船名の純米大吟醸酒があることがわかった。ご興味のある方はお試しを!
写真:白瀬の墓の由来
記 2014.09.25
