「タロ・ジロ」にまつわる話 (7) 猫の「たけし」

第一次南極越冬隊 猫のたけし第一次隊出発の直前、昭和31年(1956)11月はじめ、私が文部省で最後の作業に追われていたとき、同僚の一人が川崎のあるご婦人に頼まれたと言って一匹の子猫を抱いてきた。そして「この猫は三毛に近い毛並みで、とてもいい猫だと思います。宜しかったら南極につれていってやってください」。
私はすかさず答えた。「了解。いただきます」と。


確かその同僚が贈与主のご婦人の名前と住所をお聴きして書き留めたはずだった。私が自分でそれをしなかったのは返す返すも残念。

(写真)宗谷船室にて:出帆前夜、小林・菊池隊員とたけし

私はその夕方か翌日、その猫を抱えて晴海桟橋に停泊作業中の宗谷に出向き、乗組員の河野操舵員や三枝衣料員に出帆までの飼育を頼んで来た。出帆前日のことだ。


船が出帆した数日後、朝比奈隊員主宰のガリ版刷り「南極新聞」で猫の名前を募集した。ところがその結果は、応募数も僅少であまり良いのがなっかた。

私は同室の連中と相談の上 勝手に永田隊長の名前を拝借。「たけし」と命名した。そして永田隊長に「先生のお名前を猫に頂戴しました」と報告したら先生は「そりゃよっかた」と大喜び。
ところが船中・越冬中、永田隊長に対して不満が起きると「たけし」の頭を叩いて「たけし。コラ。たけし」と怒鳴っていた隊員もいた。


その「たけし」は 越冬中 全隊員にとても可愛がられたが、中でも中野ドクター・砂田隊員・佐久間隊員などはいつも面倒をみてくれていた。食事の際は誰かの膝の上に乗っている事が多かった。誰が教えたのか知らないが、おしっこやウンチは寒い戸外でしていた。時々中野ドクターの部屋でおしっこをしていたとも聴いている。中野ドクターはそれでも怒らない人だった。「キオツケ!」と言うと食卓に前肢をそろえて出し、後ろ肢でたって頭をまっすぐ前に向けるお遊びは、砂田隊員が仕込んだ芸だ。


昭和基地には「こたつ」がなかった。佐久間隊員の部屋の大型通信機は、かなりの熱を発した。それが「たけし」の好むところだ。

ある日、「たけし」は通信機の大きいケースの中にもぐりこんだ。「パチン!」と言う音とともに毛皮の燃える臭いがした。「たけし」が高圧線に触れたのだ。この辺の詳しいことは佐久間隊員に聴いてほしいが、幸いな事に「たけし」は一命を取り留めた。ただし 左(右だったけ?)の耳たぶをちぎりとられてしまった。おまけに 少し「頭」がおかしくなった様だ。


いよいよ我々の越冬が終わりビーバー機で引き揚げる時、「たけし」は佐久間隊員の腕に抱かれて「宗谷」にもっどた。「この船なら 俺も知ってるぞ」と言わぬばかりに船内を歩き回っていた。 

宗谷がケープタウンに着いて、我々11人の越冬隊は3-4日の休暇をもらってヨーロッパ見学に出かけ、その後全員そっろて空路羽田に帰国した。その時「たけし」は佐久間隊員の腕にいだかれていた。この間、佐久間隊員が連れて歩いたのだろう。この辺にになると私はあまり「たけし」に関する記憶がない。


帰国当日 佐久間隊員は「たけし」を自宅に抱いて帰った。そこで快適な余生を送ることになっていた。ところが その夜の内に「たけし」は何処かに姿を消したのである。

何のために? 何処へ? 誰も知らない。誰にも判らない。佐久間隊員も「判らない」といっていた。

 

菊池 徹


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