知られざる地球の不思議さと手つかずの大自然を肌で感じる究極のエコツアー。地球の鼓動が聞こえる大地「南極」、
イヌイットの住民達、野生動物との出会いがある「北極」。何かを感じさせてくれる極地旅行。
個人旅行の旅だからこそ、他では味わえない感動が!

ニー・オルスンはかつて最も北に位置する町で鉱山の町でしたが、今では重要な国際リサーチセンターになっており、大気やオゾン層の研究のほか、地質学、生物学、氷河学の分野でも各国の研究者が情報を交換しています。
ここから眺める景色は最高!「北極」という聖域へ向かう旅の扉にふさわしい場所です。

かつての炭鉱町の名残りの蒸気機関車がオブジェのように町の入口に置かれています。世界で一番北の果てにある線路だったのでしょう。 

第二次世界大戦前からあるカラフルな木造の建物は、中に入ることができます。そのひとつに小さな博物館があり、入口には、唯一の公共トイレがあります。博物館では、1960年代初期ここに住んでいた人達の生活用具などが写真とともに展示しています。
 
広場にはアムンゼンの胸像があります。ニー・オルスンは1926年、アムンゼンとイタリア人のウンベルト・ノビルが飛行船にのり北極点へ向かった場所です。
土産屋もあり、だいぶ繁盛しています。ここにも日本人観光客が来るのでしょう。私は日本語でかかれたスバールバルの地質という本を購入しました。カードやNOKドルでも支払いOKです。最北の郵便局(夏季のみ営業。コミュニティーセンター内の受付が担当)もあります。ここへ来たら是非記念にハガキを投かんしてみてください。
1916年、ニー・オルスンは、世界でもっとも極北に永住している場所としてKings Bay Kull Company AS石炭鉱山会社が築かれた。スピッツベルゲンのほかの島と違って、石炭層が沿岸に広がっている。運よくそれは海面下であり、永久凍土層であった。第二次世界大戦前にはすでにホテルもできていた(Nordpolhotellet)。1945年に炭鉱が再び真剣にとりくみ始めるようになった。1950年の後半には、200名が住み、学校や病院、新聞まで発行するようになった。19481963年までの間にさらに爆発が起こり死者80人を出した大災害があった。最後の爆発は、1962115日。その爆音は、ロングイヤービーンまで轟いたという。その翌年鉱山は閉鉱となった。以前の鉱山会社がマネージメント会社としてサービスやここでの施設の貸し出し会社として変化していった。1990年台には投資として歴史的特色(極地探検家や鉱山事業などの回想記録など)を残し保持していくようになった。その目的で小さな博物館もオープンさせた。
20世紀に入ると北極点探検と飛行機先駆者たちの役割が多かったとして知られている。アムンゼンAmundsenとエルスワースLincoln Ellsworth2機のドルニエを持って北極点を目指したのが1925年であった。北緯88度まで達することができた。Byrdは、1926年ここニー・オルスンから飛び立ち、北極点を超えた最初の冒険家となった。同年にアムンゼンとノービルは、北極点を越えアラスカへと飛行船Norgeで成功を果たした。アンカーのバイロン(目標塔)が残されている。Nobileは、病で不運をたどったイタリア隊の一員として1928年にもどって来ている。ここにはアムンゼンの胸像、イタリアの記念碑、アムンゼンとエルスワースの記念碑、鉱山時代に住んでいた頃に亡くなった人の墓など多くの記念物がある。
今日二-・オルスンは国際的な科学調査基地になっている。中国(2003-04年以降で一番大きな科学研究所である)、フランス、ドイツ(AWI-2番目に古い基地1988年以降)、英国(NERC)、イタリア、日本、ノルウェー(1960年代後半に設置された一番古い研究所)、韓国、アメリカ、技術者Kings Bay ASのスタッフと合わせて冬期は約50名、夏は200名ほどの人数がここで働いている。

コース紹介


注)すべてのコースは、海外主催会社が催行する旅行ツアーとなります。お申込みにあたり、自己責任の上でのご参加となりますことご承知おきください。